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カナダ人の歴史は2万5千年前から始まります
  泳ぐ「お宝」を求めて
  植民地獲得で英仏が激突
  エッ?アメリカ軍が攻めてくる!
  黄金の夢と鉄道が「カナダ連邦」を産んだ!?
  まだまだ問題は山積み・・・しかし、そこがカナダの魅力

カナダ人の歴史は2万5千年前から始まります

「カナダは歴史が浅いからつまらない」と思っている方がもしいらっしゃるとしたら、とても残念です。確かに、カナダの歴史をヨーロッパ人がやって来た500年程前から語り始める一般本や旅行ガイド本も以前はたくさんありましたが・・・でも、これは少し変ですよね。それ以前、ここが無人の地だったわけではないのですから。 現在「カナダ」と呼ばれている、この世界で二番目に広大な大地に住みついた人間の歴史というなら、2万5千年前に、凍りついたベーリング海峡を渡ってやって来た人々が「最初のカナダ人」(現在のカナダ国民という意味ではないにしても)でしょう。 7000年以上前に、ラブラドール地域の南部では、死者を埋葬する立派な墳墓が作られていました。「埋葬」というのは高度な文化が存在した証拠として見逃せない要素です。また、温暖な気候と豊かな食料源に恵まれたファースト・ネーション(先住民)の人々が伝承している工芸作品や深みのある生活の知恵、伝説の緻密さなどにも、歴史の豊かさが現れています。このように、カナダは長い、長い歴史を持つ国なのです。 また、ヨーロッパとの交流の面でも、最近は10世紀ごろからすでに始まっていたと考えられるようになりました。ニューファウンドランド州にはバイキングが上陸して一時滞在していたと見られる遺跡があり、世界遺産にも指定されています。
ニューファウンドランド州のランス・オー・ミードゥのバイキングの上陸地点跡(世界遺産)
ニューファウンドランド州のランス・オー・ミードゥのバイキングの上陸地点跡(世界遺産)
西海岸のファースト・ネーションの人々の工芸作品 大平原地帯のファースト・ネーションの人々の伝統的移動住居ティーピー
西海岸のファースト・ネーションの人々の工芸作品
大平原地帯のファースト・ネーションの人々の伝統的移動住居ティーピー

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泳ぐ「お宝」を求めて

「西の海のかなたに宝物が泳いでいる。」という不思議な噂は15世紀のヨーロッパの漁民の間では広く知られていました。当時、グルメの貴族達に珍重されていた鱈が驚くほどとれる魚場があるというのです。 そして1497年、イタリア生まれのジョン・カボットが英国のヘンリー七世の援助を受けて大西洋に乗り出しました。彼は、コロンブ
スと同じく、西へ行けばアジアに行かれると大誤解をしていたのですが、ともかくも現在のニューファウンドランドの海岸線を探検して英国に意気揚々と帰国しました。
 彼の「新大陸」発見のニュースは多くの冒険家の夢と欲望を駆り立てたようです。1534年には、フランス人のジャック・カルティエが内陸に深く入りこんでいるセント・ローレンス河を探検、1608年に同じくフランス人のサミュエル・ド・シャンプレンが、現在のケベック・シティに砦を築き、本格的な植民地化が始まったのです。
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植民地獲得で英仏が激突

鱈ばかりでなく、おしゃれな山高帽子や毛皮のコートに欠かせなかったビーバー、そして木材まで、17世紀のヨーロッパ経済は新しい「商品」を求めていました。北米大陸はそれらを生み出す「新しい大地」だったのです。当時ヨーロッパで覇権を争っていた英国とフランスは、そのまま新大陸でも領土争いを始めました。 そして1759年、英仏はついに大規模な軍事衝突を起こし、英国軍は圧倒的な勝利をおさめました。この結果、1763年のパリ条約で北米における仏系植民地は英国に割譲されたのです。
ニューファウンドランド州セント・ジョンズで、植民地当時の英国兵の姿を ノバ・スコシア州にあるルイス・バーグはフランスの植民地を再現した遺跡
ニューファウンドランド州セント・ジョンズで、植民地当時の英国兵の姿を 再現 ノバ・スコシア州にあるルイス・バーグはフランスの植民地を再現した遺跡です。

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エッ?アメリカ軍が攻めてくる!

1783年、アメリカは合衆国として英国の植民地支配から独立しました。しかし、その後も米英は対立を続け、当時まだ英国領だったカナダへ戦線を布告したのです。あのジョージ・ワシントンがモントリオールを占領していたこともあるのですよ! ナイアガラなど、米国とカナダの国境周辺には米国の「侵略」に備えて作られた砦が今も残っています。 大陸のあちこちに分散していた植民地を統合しないと、こうした米国の侵攻に対抗できないと判断した英国は『英領北アメリカ法』を制定、それに基づいて北米の植民地を自治 領としてまとめようとしました。1867年、オンタリオ、ケベック、ノバ・スコシア、ニュー・ブランズウィックの4 植民地が連邦政府を構成し、現在のカナダの「基盤」が生まれたのです。米国との難しい「ご近所つきあい」は今でもカナダの頭痛のたね。しかし、それがカナダを生んだ原動力というのも面白いですね。
米国の「侵略」に備えて建設されたナイアガラのエリー砦
米国の「侵略」に備えて建設されたナイアガラのエリー砦

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黄金の夢と鉄道が「カナダ連邦」を産んだ!?

東部でフランスと英国が領土争いをしているころ、太平洋岸にはロシアやスペインからの探検隊がやってくるようになりました。この動きに英国はすばやく反応、1793年のジョージ・バンクーバー総督による調査をきっかけに西部の本格的な植民地化が始まりました。これ以降、西部開拓の推進力になったのはハドソン・ベイ・カンパニー(HBC)です。高校の教科書でおなじみの東インド会社のカナダ版のような組織と思ってください。HBCは主に毛皮の交易を中心に開拓を進めていきました。
 しかし、1860年代に現在のブリティッシュ・コロンビア州のカリブー地域で金鉱が発見され、状況は急激に変化しました。広大な平原もロッキーの険しい山並みも、黄金の魅力の前には障害にはならなかったようで、たくさんの人々がヨーロッパやアメリカからカナダ西部やユーコン、アラスカへと集まって来ました。
 西部の開拓が進むと、東部で自治領として独立していた「カナダ」は、西部の植民地と連携して、経済的にも政治的にも自立する力を高めたいと願うようになりました。その「意欲」の象徴が大陸横断鉄道の建設です。氷河の残した無数の湖や湿地帯、粘土質の土地、そしてロッキーなどの山々・・・鉄道を通すには最悪の条件ばかりでした。しかし、独立国家への熱い思いが様々な困難を乗り越えさせ、1885年に東西から延びていた鉄路が結ばれたのです。この時の新聞には「汽車の警笛こそが、この国の本当の子守唄であり、われわれの国歌なのだ。」と書かれていたそうです。大陸横断鉄道をきっかけに、西部や他の地域の植民地が次々と連邦に加わり、1949年にニューファウンドランド州が参加して、現在のカナダ連邦が成立しました。

カナダ建国の基盤になったのは鉄道
カナダ建国の基盤になったのは鉄道

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まだまだ問題は山積み・・・しかし、そこがカナダの魅力

連邦の成立以降、カナダは人口でもGNPでも急激な成長を続けました。同時にこれは様々な問題を拡大する過程でもありました。アメリカという「わがままな巨人」の隣人として、経済的自立や文化的自立を維持するのはきわめて困難です。分離独立を主張するフランス系住民、世界各地からやってくる移民、そしてファースト・ネーションの人々・・・複雑な人種や文化の調和と共生も重要課題です。しかし、1982年にカナダ憲法が制定され、名実共に独立したカナダは、こうした山積みの問題にしなやかに、そして粘り強く取り組んでいます。
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